一般財団法人 東洋運勢学会

特集・節気刊運勢学

第16回 四柱推命 前編

山口荘令

10月24日 霜降

今回と次回にわたって、

  1. 四柱推命の歴史。
  2. 四柱推命という占法について。
  3. 四柱推命で看命すると何が判明し、どのようなことを知るのに適しているのか。
  4. 読者自身が四柱推命で看命する方法について。

の四項目のテーマについて、順次説明します。

【一】四柱推命の歴史

四柱推命術は中国の戦国時代、鬼谷子(きこくし)によって確立され、その後、幾多の賢人たちの研鑽を経て、西暦九二〇年頃に徐子平が完成したという説が研究者の通説となっています。この占法は、日本では四柱推命と呼ばれていますが、中国では推命とか四柱と言わず三命通会・算命或いは淵海子平などと呼んでいます。日本ではじめて推命書を紹介した桜田虎門は、唐代の李虚中、宋代の徐公升なる人物が完成者、あるいは中興の祖であると、その推命書に記しています。また、朱子学の祖であり、論語や孟子の註で名高い朱子が、若い頃に請われて推命書に序文を添えていることから、推命術は中国の宋代にはそうとうな流行をみせていたと思われます。

日本の推命術の歴史は、長崎に停泊中の船中より五行易と推命書を入手した、日本四柱推命の祖と呼ばれる桜田虎門(本名・桜田欽齋、儒学者、名は景質、字は仲文、通称・周輔、横笛を嗜むと仙台藩の人名辞典に記されている)が、一八〇一年・二八歳のときに文会堂という版元より和訳した推命書を発刊したのが最初です。

その後幾多の苦難に遭い、自身の運命を解く鍵は推命書にあるのではと考えた四五歳の桜田虎門の手によって、一八一八年改めて推命書が発刊され現在に至っています。